一生に一度は富士山に登りたいというのが庶民の願いであるように、いやしくも登山に興味を持ち始めた人で、まず槍ヶ岳の頂上に立ってみたいと願わない者はないだろう。
と、書いています。
どこから見ても「あれが槍ヶ岳だ」と分かる山というのも、富士山と並んで槍ヶ岳くらいかも知れません。北アルプスの縦走路が重なる交差点にあり、槍のように尖った穂先がとても特徴的で格好良い。ということで、槍ヶ岳は日本の山の中でもとても存在感のある山ですが、まだ登ったことがない。そのうち登れるだろう、と思っていたんですが、そうこうしている間にしばらく山から足が遠のき、38歳になっていました。
昨年くらいからふと、3000m級の稜線が無性に恋しくなって、あの独特の空気、景色、星空、稜線、広大な空間の中に身を置きたい、夜を越えてみたい、という気持ちが高まってきました。少し時間にも余裕ができ、1年越しの思いをついにこの夏に果たすことができました。
今回歩いたルートは、通称「裏銀座」と呼ばれる、北アルプスの縦走ルートです。裏というからには表があって、表の方は、燕岳、大天井岳などを通るルートで、比較的にぎやかです。それに比べて裏銀座は、裏というだけあって少し地味目。良く言えば、自分と向き合えるルート、ということで、まあ一人で歩くにはむしろこちらの方が雰囲気に浸れて良さそうだということで裏を選びました。
単純に槍ヶ岳だけ登るのであれば、登って降りてくるだけの短いルートも有りますが、せっかく北アルプスの稜線に登るのであれば、数日間稜線の上で滞在できる縦走の方が涼しいし景色も良いし良かろう、と思い、しかしよく考えると自分自身過去最長となる5日間の単独縦走をしてみることにしました。
裏銀座ルートの入口は信濃大町。そこからタクシーで高瀬ダムまで行き、烏帽子岳へ標高差1200mほど登ります。ここはブナ立尾根と呼ばれ、北アルプス三大急登と呼ばれる坂です。まあ、標高1000m以上登る山道で、しんどくない道は無いと思いますので、特別に急かというとこんなものだろう、という気もします。
それよりも、アルプスの主稜線まで登ることのなにが一番辛いかというと、途中ではほとんど景色が見えず、ただただ登りが続くことだと思います。だから、せっかく登ったんだし、しばらく上で縦走しよう、という発想になるわけです。
「縦走をしてます」というと、「すごいですね、自分はまだそこまでできません」というようなことを仰る方も結構いらっしゃいますが、僕からするとむしろ縦走は登ってしまえば楽ちんで、景色も良いし、標高差もせいぜい数百mしかないので、天上の散歩、みたいな感覚で、下から登って翌日にまた下る方がよっぽど体力的にはきつい気がします。ということで縦走はオススメです。
それで、前置きが長くなりましたがこのブナ立尾根、登るまでは辛抱の登山だ、と思っていたんですが、途中の森林がなかなか素晴らしく、樹齢100年を超えるのではないかと思われる巨樹や、苔むした岩などが目を楽しませてくれました。こういう楽しみ方は学生時代にはできなかったのですが、植物や岩とも仲良くなって、随分楽しみが増えました。年をとるのも悪いことばかりじゃないですね。
北アルプスの主稜線まで登ると現れるのが烏帽子小屋。そこから1時間くらいで烏帽子岳をピストンすることができます。
今年のお盆休みは太平洋高気圧が弱くて前線が日本列島に停滞し、全体的に天気が悪いということだったので、展望が無かったら小屋でおとなしくしていようと思っていたのですが、幸い初日は展望があり、空荷でピストンしてきました。
烏帽子岳は頂上の岩が本当に烏帽子の形をしていて、この岩のてっぺんに登ります。
よくよく考えてみると、日本アルプスの主稜線に立つのはもう15年振りくらいになってしまっていました。仕事を始めてからは山からすっかり遠のいてしまっていたので、実は学生の時以来の稜線歩き。ああそうだ、こういう感じだったよなあ、と思いながら稜線を歩く至福の瞬間。明日からしばらく、この大空間と戯れることができるかと思うと、否が応でも胸が高鳴ります。
翌朝は奇跡的に晴れ。縦走の出発を祝福するかのようなご来光でした。
烏帽子岳で出会った大阪から来られたパーティーの皆さんとも仲良くなり、一緒に朝日を眺めました。
「夕焼けは晴れ、朝焼けは雨」、ということわざに違わず、このあと天候は荒れ模様になりますが、ひとまずこんな光景が見られただけで大満足です。
2日目は烏帽子岳から三俣山荘を目指します。朝はまだ晴れていて、雲海を下に眺めながら絶景の中を歩くことが出来ました。
が、次第に風が強くなってきて、雲が出始め、そして雨が降り始めました。
風が強くなり、稜線を歩いていると吹き飛ばされそうになるような風もたまに吹いてきたため、野口五郎小屋で停滞される方もいらっしゃいました。が、まだ時間も早く、どうしても立っていられない、という程でもなかったので、僕は先に進みました。
この野口五郎岳から水晶岳の間の稜線は、北アルプスの中でも特に風が強い場所だそうで、確かにたまに「おっとっと」となるほどの突風が吹いてくるため、岩場などでは特に手も使ってしっかり体を支えながら進む必要がありました。
写真は水晶小屋の手前の切り立った稜線の道ですが、よくもまあこの強風でこんな場所を歩いたなあ、と自分でも思いながら、雨の中振り返って撮った写真です。
風が強いので水晶岳と鷲羽岳はショートカット。縦走でもしないと登れない百名山を2つもカットするのは惜しい気もしましたが、風も強くて危ないのでまっすぐ三俣山荘を目指しました。水晶と鷲羽はまたの機会に来たいと思います。
なんとか無事に三俣山荘に到着し、2日目は終了です。
今回はテントや寝袋や調理器具は一切持たず、全て山小屋宿泊前提で荷物を軽くして山に入りました。
昔は、「山小屋に宿泊しながら山に登るなんて富豪がやることだ。本当の登山じゃない」くらいの勢いで山小屋登山をバカにしていた気がするのですが、今やそんな勢いは全くなく、迷わず小屋に泊まります(笑)。
ところでこの三俣山荘は伊藤正一さんという方がオーナーさんで、雲ノ平山荘、水晶小屋と合わせて3つの山小屋を経営されているのですが、この伊藤正一さんは『黒部の山賊』という大変に興味深い本を書かれています。
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詳しくは読んでいただくのが一番ですが、少しご紹介をすると、三俣山荘周辺の黒部源流域にはかつて山賊が暮らしていて大変恐れられていたらしいのですが、伊藤さんはこの山賊たちと仲良くなって一緒に山小屋を再建していったというのです。
さらに黒部源流域周辺には、カッパが出るという話や、「オーイ、オーイ」と呼ぶ声に「オーイ」と返すとおかしなところに連れて行かれて遭難してしまうので、「ヤッホー」と返事しないといけない、という、登山をする上で非常に有益な情報も盛り込まれています。
天気が少し荒れれば自分なんてすぐに吹っ飛ばされてしまうような、自然への畏怖を感じざるをえない場所に身を置いてみると、どこからともなく声が聞こえたり、不可解な出来事があると、「これはカッパの仕業だな」と考えたくもなるものです。
人間よりも自然の力が圧倒している場所において、言い伝えや信仰がどのように生まれていくのかが分かるような、そういう本でもありました。自分よりもどうしようもなく大きなものに対峙する知恵。日本古来の自然に対する信仰なども、こうして生まれたのではないでしょうか。
3日目は朝から雨。三俣山荘から三俣蓮華岳、双六岳を経て、双六小屋方面を目指します。
この区間は稜線を避けた巻道ルートがあり、悪天候だったので多くの方がそちらを選んでいました。僕も天気がもっと荒れていればそちらに行ったと思いますが、早朝のうちはまだ小降りで風も弱かったので、三俣蓮華岳、双六岳を通って稜線ルートを行くことに。
巻道との分岐点で、「おお!あとたった15分登れば三俣蓮華岳に到着ですね!しかも巻道と稜線ルートはコースタイムで30分しか変わらないんですね!」とか楽しそうに話をしていたら、巻道を行こうとしていた個人の方が2名、3人組が1組、「僕(私たち)も稜線ルートを行こうかなあ」と言い始め、いつの間にか全員行くことに(笑)。なぜか隊長に指名されて、個人メンバー3人の先頭を歩いて双六を目指すことになりました。
途中で別れましたが、3人組パーティーのうちお二方は女性で、とても明るく話をされていて、それで随分元気をもらいました。明るいことは強さだと思いました。
旅は道連れ、世は情け。悪天候でも同行者がいると心強いものです。
「夜のなかを歩みとおすときに助けとなるものは、橋でも翼でもなくて、友の足音だ。」と、ヴァルター・ベンヤミンさんも言っています。
双六小屋に到着するとさらに雨が激しくなり、雷も鳴り始めました。この先の西鎌尾根はまた、雷や風を避ける場所も少ない険しいルートですので、この日は双六小屋で停滞を決定。朝の9時には小屋に入って衣類を乾かし、のんびりすることにしました。
昼ころに賑やかなパーティーが小屋に到着して、もしや、と思って外を見てみると2日前に烏帽子小屋でご一緒した大阪からのパーティーの皆さんでした。この日はまた一緒の小屋になり、ビールで乾杯させて頂きました。
午後に一瞬雨がやみ、1時間ほど晴れ間が出ました。今回の一番の目標の槍ヶ岳は、双六小屋からは見ることができませんが、隣の双六岳や樅沢岳に登れば見ることができます。この晴れ間を逃す手はない、と小屋から飛び出して樅沢岳まで登ってみました。
振り返ると双六岳の姿が。この一体では珍しい、丸みを帯びた女性的な山容です。今あそこにいれば槍ヶ岳が見られたかも。
そして樅沢岳に到着。がしかし、すでに雲が出はじめて槍ヶ岳は見られませんでした。明日はこの西鎌尾根を歩きます。
翌日も朝から雨。風は比較的穏やかですが、雷が鳴っています。
歩き始めから雨と雷ではなかなか出発する気にもなれず、気象情報を聞きながら数時間小屋で様子見をしていました。
そうしている間にも、何人かの方々が西鎌尾根に向かいました。その後に天気が回復する見込みもあまりなく、仕方ない、と、少し雨が小降りになった時点で小屋を出発。槍ヶ岳を目指しました。
稜線を歩いて行くと、雨の中、突然空が明るくなり、顔を見上げると雲が薄くなって、突然ふわーっと槍ヶ岳が姿を現しました。槍ヶ岳、ついに見えたり!
西鎌尾根を振り返ります。急峻な尾根で、天候も悪く、この時間帯にすれ違った人は一人もいませんでした。
雷で少し怖い思いをしたものの、無事に槍ヶ岳山荘に到着。
ここはこれまでの山小屋と違って、上高地から来られた団体客の皆さんもいらっしゃって随分賑やかな様子でした。
夕方、雨と雷が止む隙をついて大槍の穂先に登頂。ついに念願の槍ヶ岳登頂を果たしました。
途中のルートでご一緒した方の中には、同じく槍ヶ岳を目指していたものの、悪天候でルート変更せざるを得ず、双六小屋から下山された方も複数いらっしゃいました。
そんな中、僕が槍ヶ岳に登頂できた一番の理由は体力でも技術でもなくて、「時間の余裕」でした。下山された方の多くは、お盆休みを最大限使った予定を組まれていて、「どうしても明日中に家に帰らなければいけない」といった事情で下山をされていきました。
僕は今回、幸い2日ほど予備日を取ってゆとりのある日程を組むことができたために、悪天候時に迷わず停滞をして、予定よりも1日遅れで山頂に立つことが出来ました。縦走においては、「時間」はとても重要な持ち物だと思いました。
頑張ったご褒美か、夕方素晴らしい光景が待っていました。
西鎌尾根を滝雲が流れ、柔らかい夕焼けの色に世界が染まりました。
翌日5日目、北アルプスの主稜線と別れを告げ、新穂高温泉に向けて下山します。この日はついに晴れ!
槍平に向かうカール状の谷を下りますが、数日前に起きた遭難事故の影響もあるのか、ほとんど人がいませんでした。
言葉に出来ない美しい風景、大きな空間の中に、いるのは自分一人。
一人あたりの空間がこんなに大きい瞬間なんて、普段の都市生活では絶対に有り得ません。
僕は今、なんて広大な空間を一人で使わせてもらっているのだろうか、と、その空間の大きさを感じ続けていました。
新穂高温泉までは、槍ヶ岳から標高差2000mも下る長い道のり。
木や草、石や土と接しながら、淡々と下って5日間の縦走が終了しました。
ということで、久しぶりのアルプスの縦走が終わりました。
5日間歩いて、一番の目的だった槍ヶ岳の山頂に立つこともでき、また、基本的に悪天候続きだったものの、要所要所では雲が晴れて景色を見ることもでき、とても充実した山行になりました。
食事と宿を提供して頂いた山小屋の方々、途中で出会って元気をもらった方々、そして厳しくも美しい体験を常にさせてくれた山の自然に、ただただ感謝です。ありがとうございました。
山というのは、その時の自分を映す気がします。一人で歩いていると、一歩一歩、前に歩を進めることの、そのすき間すき間に自分が現れる気がします。
「なんでこんなに天気が悪いんだ」と悪態をつくのも自分の勝手ですし、雨の中で「なんて木々が美しいんだろう」と感じたり、雨の隙間の晴れ間に幸せを感じるのもまた自分の自由です。あるいはただ、歩くことだけに集中して無になることもできます。
山はただそこにあり、そこをどうやって歩いたか、どういう自分であったか、が、それぞれの登山を決めていくように思います。
15年もブランクがあって山に入ってみると、山を歩きながら映る自分が、以前の自分とは随分違っていることに気が付きました。単に苦痛でしか無かった尾根登りが、木々の生命を感じる時間に変化したり、速く強く進む事を優先していた山歩きが、時には立ち止まりながら、人との出会い、自然との出会い、その瞬間瞬間の豊かさを実感する歩き方に変わっていたり。
山はほとんど変わっていないのですが、歩き手が変わることで山が変わる。自分を映す鏡のようだと感じました。だから何度行っても、新しい発見があるように思います。
それから、自然の風景を「美しい」と感じるのはどういうことでしょうか。
山がある、木が生えている、岩がある、空が青い、雲が白い、太陽が輝く。それはなぜ美しいのか。
最後に新穂高温泉の少し手前で、登山道は終わり、ダム工事用の林道を歩く区間がありました。林道は道が平らなので登山道よりもずっと速いペースで歩くことができるのですが、なぜだか歩くのがつらいのです。足も痛くなってきて、突然「早く終わって欲しい」という思いが募ります。
少し前に、「人工的に作られた水は、森や鉱物の間を通って湧き出た水と比べて情報量が少なく、人工的な水ばかりを飲んでいると自然を感じる感覚が無くなってしまう」と仰る方がいました。水の「情報量」とはこれまたどういうことだ、と最初は思いましたが、長い時間をかけて生きている樹や石の中を通ってきた水には、成分として何かが含まれていることまでは理解できます。
「早く終わってくれないか」、と林道を歩いている時に、ふとこの「情報量」という言葉を思い出しました。きれいに整備された林道は、とにかく「情報量」が少ない。特に何も考えなくても、どんどん歩くことができます。適当に足を前に出せば、難なく歩くことができます。ところが登山道となるとそうはいかず、同じ地形は二度と繰り返すことはなく、一歩一歩、足をどこに置き、どうやって歩を進めるかを考えながら歩かなくてはいけません。確かにこれを情報量というのであれば、圧倒的に登山道の方が情報量が多いでしょう。
登山道を歩いている時に、妙な充実感を感じるのはこのせいではないかと思いました。どうやって歩くか、を考えているだけでもそれなりに忙しい。だから、あまり他のことを考えずに集中できる。ただ歩くことに集中することで、余計な考えを無くし、自分自身に戻ることができる。あるいは、山と一体になることができる。そこから自分と山との関係性が浮かび上がってくるような、そういう充実感があるように感じました。
50年、100年と生きているのではないかと思われるような巨樹を見ると、なぜだか見とれてしまいます。人間の寿命よりも長い時間を生きてきた生命には、やはりそれだけのものが備わっている気がします。木の幹は太くて大きく、長い間風雪に耐えながら成長した枝があり、表面は苔で覆われ、外見に深みがあります。さらに、少なくとも、同年代に生まれたたくさんの生命の中で、生えた場所や、遺伝子などが、100年を生きるための解であったということであり、そういう意味では、数学の美しい方程式を見ているような、100年を生きながらえる知恵、この世界の中での正解を見ている美しさもあるように思います。岩や、太陽もまた、とても長い時間を宿しています。
人間の寿命をはるかに超える長い時間と、人間の体積をはるかに超える大きな空間。普段よりもはるかに大きな尺度の時間と空間、いわばたくさんの情報量を吸収できることが、自然の美しさの一要因なのではないでしょうか。自分の存在よりもはるかに大きなものに触れる時に、普段の尺度では測れない、より大きなものの存在を感じることができる。逆にまた、より大きなものの中で、自分の存在を少し知ることができる。ああそうか、自分というのはこういう存在だったか、と自然との関係性の中で己を知ることができる。長い時間と、大きな空間を通じて得られる知恵のようなものが、山にはあるように思います。
次の山でまた、その時の自分と会えるのが楽しみです。